島根県の銀山街道
 
  


●銀山街道の起点
江戸幕府は、統一貨幣を鋳造するために、鉱山を直轄地(天領)として管理し、金座や銀座で鋳造しました。石見銀山から産出される銀も、幕府に上納され、銀座で小判や丁銀などの貨幣に鋳造されました。石見銀山街道は、大森銀山から幕府へ上納するための街道でした。

●[陸路]島根県大森町から広島県へ
銀山街道の起点は、島根県大田市大森町の陣屋でした。その後、輸送隊は大森町内にある羅漢寺を通過して、水上町荻原(おぎわら)の宿駅で休息を取り、美郷町別府に至り、銀山街道最初の難所の「やなしお道」にさしかかります。その後、小原宿(美郷町粕渕)で休息した後、尻無川(しりなしがわ)で昼食をとるとともに、新しい牛馬に銀を載せ変え、九日市宿で宿泊しました。翌朝、輸送隊は標高四五〇bにある難所の赤名(あかな)峠を越え、石見・出雲・備後の三つの国が接していた赤名宿(飯南町赤名)に昼過ぎに到着し、そこで近隣から集められ待機していた人馬に銀の付け替えを行いました。その後一行は、広島県の三次(みよし)に向かいました。これを尾道道と呼んでいます。

●[海路]島根県大森町から温泉津町へ
温泉津(ゆのつ)町は、銀を北前船(きたまえぶね)に載せて海路で運ぶ時の積出港でもありました。大森町から温泉津町への運搬には、鞆ケ浦道と沖泊道の二つのルートがありました。

(道重哲男・相良英輔『出雲と石見銀山街道』吉川弘文館、2005より)